2022年4月11日。
少年ジャンプのウェブサイト(この表現が合っているかは謎)「ジャンプ+」で、藤本タツキ氏の200ページ読切『さよなら絵梨』が公開されました。
私は、『チェンソーマン』の記事を書いたりしている割には、実はそこまで藤本タツキ氏のファンではないんですよ。
でも、作品を読めば、こうやって何かを書かせてしまう力が、彼の人にはあるんですよね。
『さよなら絵梨』に漂う既視感と食傷気味な内容
「ルックバック」、「さよなら絵梨」と、長編読切を連続で発表した藤本氏ですが、私は正直、『またか・・』という、ちょっと食傷気味な感想を抱きました。
ファイアパンチからチェンソーマン、そしてさよなら絵梨。
ルックバックはちょっと違うけど、どの作品にもかかわりの深い部分で映画が登場します。
藤本氏が映画ファンなのは有名で、映画の技法やオマージュが、これまでの作中にもふんだんに使われているんですが、映画リスペクトな部分が作品から離れられずに、何度も同じモチーフを用いるため、数作品を読めば『またこの内容・・』と残念な部分が目立ちます。
『さよなら絵梨』は、それはそれで面白い作品だとは思ったけど、新規の登場人物としての発表ではなく、いっそ、トガタ(「ファイアパンチ」の登場人物)のスピンオフの方が、しっくりきたんではないかなと、思っちゃうんですよね。
何故なら、結果的に同じことを、トガタにも絵梨にも言わせているのだから。
別の作品とするなら、どうしても二番煎じ感が否めないんですよ。
だから、優太か絵梨をトガタにしてもよかったし、トガタが昔、どちらかと会っていたというストーリーでもよかったと思うんですよ。
トガタは、生きるのに飽きていた位長く生きていたのだから、ファイアパンチの世界になる前に、こういう世界に生きていた事があったとしても、おかしくはない。
それに、映画を撮りたがってたんだから、この作品をトガタに撮らせてもよかったと思うんですよね。
ファイアパンチ後半の、映画館のシーンは凄くよかったし、チェンソーマンでマキマが映画に通いまくっているのも(ちょっとは『またか』と思ったけど)、別に良かった。
だけど、『さよなら絵梨』からは、既視感ばかりを感じる。
それは、映画リスペクトな部分だけではなく、苦しみの上生みだした自作品への批評や評価に対しての、作者のもの言いたげな部分からも。
まぁ、『さよなら絵梨』には、他にも描かれている部分があるし、藤本氏らしいビックリ部分があるので、色々な人に読んでもらいたい作品ではあるんだけど、今回私が抱いたのは、こんな感想でした。
チェンソーマン初期の読みにくさ
さて、私は『チェンソーマン』はかなり好きなんですが、3巻くらいまで、結構読みにくいなと思いながら読んでいました。
前にも書いたことがあるのですが、作中のセリフがこっぱずかしかったり、場面展開に充分な間というか準備が無く、作者のやりたいことだけが先走ったまま、説明不足だったり、読者が置いてきぼりにされたりと言った事が多く、どちらかというと、『読み辛くてあまり面白くない』と思ってました。
(絵柄の事もあるんですけど)
でも、今回さよなら絵梨を読んで、どうして読み辛かったのか、分かった気がしました。
私は最初、この読み辛さを、作者のストーリー建てが未熟だからだと思っていたのですが、そうではなく、作者の頭の中には充分な絵コンテがあるのに、誌面が足りなかったという事なのだと、理解しました。
『チェンソーマン』は、少年ジャンプ本誌での連載でしたから、ページ数や締め切りに制限があって、頭の中の図式のようには表現できなかったのかもしれません。
ただ、この問題は、漫画家さんなら等しく抱える問題だと思うので、その制約の中、作品を読みやすく魅力的に仕上げるのが、「実力」と言う事になるのでしょう。
『ルックバック』に『さよなら絵梨』と、WEB作品ならではの贅沢なページの無駄遣いをして、何度も思い出すような作品を発表した藤本タツキ氏。
それって素敵な事だけど、今後は、制約のある中で、商業漫画家として、どれほどの作品をあててくるのか、とても気になります。
ていうか、チェンソーマンの2部はまだですか?
それではまた。